「内部留保を無視した日銀分析は0点」は論点違い 生産性・賃金・物価の関係

日本銀行のリサーチラボ
生産性向上が賃金上昇に反映されなかったのはなぜか:わが国のデフレ期からの教訓
に対して、Xでは「内部留保を無視しているから分析として0点」という趣旨の批判が出ていた。

だが、資料の最後には「本分析は賃金の硬直性というチャネルに焦点を当てたもの」と明記されている。
別の論点を扱っていないことを理由に、対象を限定した分析そのものを否定するのは雑すぎる。

内部留保は重要な分配論点だが、賃金の硬直性に絞った分析を否定する材料にはならない
賃金は固定給を土台に、生産性に連動する上乗せ報酬を組み合わせる方が合理的

日銀資料が分析したのは「賃金が動かなかった理由」

資料が扱っているのは、1990年代後半以降、生産性が上がったのに実質賃金が横ばいだった理由の一部。

デフレ期の日本では、労働者ごとの名目賃金上昇率が0%付近に集中。
賃下げが難しいだけでなく、将来の賃下げを避けたい企業が、景気や生産性が改善した局面でも先回りして賃上げを抑える。
日銀資料は、この上にも下にも動きにくい賃金を分析している。

  • トレンドインフレが低く、名目賃金を上げる余地が小さかった
  • 労使とも賃金より雇用の安定を優先した
  • 低い賃金でも労働者が残るため、企業の賃上げ動機が弱くなった
  • 賃金差をシグナルとする労働移動も鈍り、生産性の高い企業へ人が移りにくくなった

直近では賃金上昇率の分布がプラス方向へ移り、0%付近の比率も低下している。
日銀は賃金の硬直性が緩みつつあると見ている。
ただし、分析結果は「可能性を示唆する」という水準であり、実質賃金と生産性の乖離をこれだけで全て説明したとは書いていない。

「内部留保を無視したから無意味」にはならない

Xで見かけたのは、「生産性向上分は役員報酬や配当、内部留保に回っただけ」という批判である。

内部留保の話は、増えた付加価値や利益が最終的にどこへ配分されたかという論点である。
一方、この日銀資料は、名目賃金の硬直性が賃金設定と労働移動にどう作用したかを見ている。
関係しているが、同じ話ではない。

完全な説明を目指すなら、労働分配率、企業収益、内部留保、配当、交易条件、非正規雇用の拡大なども見る必要がある。
そもそも、日銀自身も交易条件や非正規雇用などを明示的には考慮しておらず、分析は複合要因の一部だと断っている。

「内部留保をモデルに入れていないから賃金硬直性の分析も無価値」は飛躍している。
分析の射程を読む前に、自分の言いたい分配論をぶつけているだけ。

内部留保に回れば企業の体力はつくのか

これは概ね正しい。
ただ、内部留保を現金の山だと考えると間違える。

財務省の利益剰余金の説明では、利益剰余金は当期純利益から配当金などを引いた額が積み上がったものとされている。
貸借対照表では純資産に入り、資産側では現金・預金だけでなく、有形・無形固定資産など様々な形で再投資されている。
2024年度の利益剰余金は全産業で約638兆円だった。

  • 純資産が厚くなれば、赤字や資産の値下がりを吸収しやすくなる
  • 現預金や有価証券で持てば、短期の支払い能力が高まる
  • 設備や研究開発へ回せば、将来の生産能力を高められる
  • 借入への依存を減らし、自己資金で投資しやすくなる

この意味で「内部留保に回れば企業の体力がつく」という理解は合っている。
ただし、資金を寝かせたり、収益性の低い資産へ投じたりすれば効率が良いとは限らない。
財務省も手元流動性が高いほど一般に安全性は高い一方、高すぎれば資金を再投資せず寝かせているとも捉えられるとしている。

内部留保したことが「悪」である論調の意見が散見されるが、内部留保は悪でも善でもない
賃金、投資、配当、現預金のどこへ回したかと、その配分が将来の付加価値を増やしたかで評価すべきである。

転職が増えれば改善はするが、賃金上昇は保証されない

日銀資料の筋書きでは、賃金差が明確になり、低賃金の企業から高賃金・高生産性の企業へ人が移れば、経済全体の生産性も上がる。
現在の転職推奨や労働移動の増加は、この硬直性を徐々に崩す方向には働く。

国自体が転職を推奨している背景もある。

ただし、転職件数が増えれば全員の賃金が上がるわけではない。
私自身、転職で労働条件は改善したが、賃金は下がった。
勤務地、時間、安定性、仕事内容などを含む条件と、賃金は別に動くからだ。

企業を移りやすくするだけでは足りない。
生産性の高い企業が実際に高い報酬を提示し、その差が労働者に見える状態まで作って、初めて賃金が資源配分のシグナルとして機能する。

結論は「固定給+生産性連動の上乗せ報酬」

私が考えたのは、賃金を完全固定にするより、固定給と生産性連動部分を組み合わせる方が合理的ではないか、ということ。

報酬 = 生活を支える固定給 + 基準を超えた付加価値に連動する賞与・歩合

固定給は生活の安定と、景気悪化時の急激な賃下げを防ぐ。
上乗せ部分は、生産性向上の成果が全て企業側に残る状態を防ぐ。
生産性と同じ割合だけ報酬を増やすなら、単位労働コストは基本的に増えないため、それだけでインフレを起こすわけでもない。

ただし、個人の生産性を無理に数値化すると、数字だけを作る行動やチームワークの破壊を招く。
個人歩合だけでなく、部署や会社全体の付加価値を基準にし、配分ルールを事前に明示する方が良い。

日銀資料が示したのは、賃金が動かないこと自体が、実質賃金だけでなく労働移動と生産性まで鈍らせうるという話。
内部留保の配分を検証することは必要だが、それは賃金硬直性の分析を読まずに否定する理由にはならない。

分析には分析の射程がある。
分配を批判するなら分配のデータを出す。
少なくとも、資料に書かれた限定条件を無視して「内部留保がないからゴミ」で終わらせるよりは、その方がよほど生産的。

まとめ

資料末尾の限定条件に一切触れず、「内部留保を無視したから0点」と断じるポストは、最後まで読んでいないか、読んでも理解できていないかのどちらかです。

本文を最後まで読むことすらできない、あるいは読んでも内容を理解できない。
にもかかわらず知識人ぶって分析を「0点」と切り捨てる。
分析の限界を指摘しているのではなく、自分の読解力の限界を晒しているだけの悲しい生物です。

管理人
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